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フライングタイガースで腕時計を作りだしたのが、1997年位からですから、概ね10年も経つのですね。時が経つのはほんとうに早いものです。
「フライングタイガース」は元来クオーツを中心に展開をしていました。クロノグラフが多かったですね。その当時は、弊社の主流流通網は量販店だったりパチンコ店がメインで、「フライングタイガース」もそこに卸す商品のひとつでした。クライアントのその当時けっこう大きかった問屋さんに、ブランドを貸している時期もありましたので、業者のなかには、いまだにフライングタイガースはそこのブランドじゃないの?って思ってる方もいらっしゃると思います。
当初は、機械式に進出するつもりは、全くありませんでした。
それがなぜ?
いまでは、フライングタイガース=機械式時計です。
実は、数年前、フライングタイガースのクオーツの時計を買っていただいていた、大切なクライアントのバイヤーさんとの話題のなかで、「フライングタイガースの機械式製品化」の話になったことがありまして、正直当初は「大丈夫かなあ??」と結構考えました。商売人ですから、リスクとビジネスチャンス・・・その狭間で思いっきり葛藤したのを覚えています(笑)
当時の中華機械式は、と言ってもまだ4~5年前ですが、他社さんの商品はほんと酷い状況でした。さぞ苦労されたでしょうね。クライアントから聞く話があまりに酷く、まだ疑問視していました。だって「売れるんだけど、不良が・・・この間も100本買って80本返品したよ」とか、そんな話聞いた暁には、流石に手が出せないですよ。
あと、当時はオネエさま向けの、石がいっぱいついたキラキラした時計がバカ売れしてたので、手がまわらなかった、というのもあります。
ただ、大切なクライアントからのお話だし、大事にしたいなぁーなど、暫く検討をしていたのですが、それもたまたまだったのですが(きっと運命だったのです、と今でも思います)、フラっと旧知の香港サプライヤーが来社したのです。うちの先代と、そのサプライヤーは古くからの知り合いで、気心もしれていたのですが、当時商売はほとんどない状態でした。わたしもミーティングに参加させてもらって、「どうよ?調子は?」なんてお決まりの商談で終わりかな?と思っていましたが、「実は・・・」とデッカイ鞄の中から取り出したのが、中華機械式のサンプルの山でした。うわ~凄いなあー(笑)と思いました。なんでかって、やっぱり魅力がありましたよ。クオーツにはない、独特の雰囲気がありましたからね。
それに、聞けば機械式大手ファクトリーの「シーガル社」の代表と彼が懇意にしていて、シーガル社の日本の代理店を探すよう頼まれている、という別案件も含め弊社に来社したようなのです。直感です。これはムーヴファクトリーと太いパイプがある。この後ろ盾ならいける。これなら不具合の多い機械式も扱えるか?
いける・・・売れる。
もうそうなると止まりません・・・「ではこれを200本、こっちを300本、んーこれは500本、これはさ、こここういう風に変更して」云々で、最終2000本くらいからテストをしてみることにしました。仕上がり具合、それとクオリティーですね。初回だったので、オリジナル度は抑えました。下手に変更を加えると、全く意図しない仕上がりをしてきたり、サンプルのなかで売れそうなデザインを選んで、初回では簡単な変更しか加えませんでした。まずは、相手のお手並み拝見です。
先方も目丸くしてましたが、一番目をむいてたのが当時の弊社の社長です(笑)。「機械式って壊れるだろ?大丈夫か・・・?」。それくらい当時の機械式は酷かったですから・・・。
話もいろいろ変化してしまってますが、そう、2005年5月のあのオーダーから、フライングタイガースの中華機械式化へ大きく舵を切ることになるのです。
それが出来たのは、先に話にでた、いまでも大切な弊社のクライアントのバイヤーさんとの、話のやり取りのなかで、ヒントをいただいたことが根っこです。
いまでも、感謝してます。
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